ゴキブログ(仮)
mugenとかのことだらだらと書く
ほんとにどうでもいい話
久々の記事。吾亦紅の話。
吾亦紅は死なないただの人間というコンセプトに則って作った。
でもそれは表のテーマで、裏のテーマは希望絶望に関する話だった。
当時から見ての少し前、自分のキャラの規約がどうこう、希望絶望での採用がどうこうと、
例によって「一勝もできない試合では~」みたいな勘違いしてる人もいたままだったし、
思う所があったのは確かだった。
何度でもいうけど、勝ち負けではなく、多少なり動けてたならそれでいいよというのがこちらの規約。
開幕仕分けとかいってイントロ中に倒されたりしたら、それもうこのキャラである必要ないよねって、
キャラ制作者としてはそうも思うわけよ。
特に自分はキャラは個性を強くしようと思って作っているし、
その為に演出も性能記述も頑張って作ってたつもり。
言っちゃあなんだけど、他のキャラとは違うと思って作ってきたよ。
それを、他のキャラと変わらん形で消し炭にされたとして、
じゃあその大会に参加して良かったな♪ってそんな風に思うかって、思わない。
それだったら死なないキャラ作ればいいじゃん?っていうのが吾亦紅だった。
よっぽどの論外即死じゃなきゃ死なない。だってそらヘルパーNOKOだもん。
別に死なないキャラ作ったでドヤァ~~~~みたいな話じゃないんだよ。
こんなことなら別に誰でも作れるんだから。
ある意味、希望絶望に対する自分からの答えとして出したのが吾亦紅。
そんなにランク差云々を気にするんだったらこのキャラ参加させりゃいいんじゃねって。
規約がどうこうなんて話になりえないキャラなんだから好きにすりゃいいじゃんねって。
じゃあそれで吾亦紅は動画に出たことがあったかっていったら、
自分が観測してきた限り、一度たりとてなかったよ。
他のキャラのほうが、希望絶望形式でさえまだ見かける。
まぁ吾亦紅は面白いキャラかっつったら別にそんな面白要素ないし、
ほぼ確実にタイムアップを迎える以上使いにくいよねとは思う。
ただ、根本的に希望絶望というものの需要についての話でもあるんだろな。
何かの機会で、希望側が護身なり無敵回避なりで耐えきるのが面白いみたいな、
そういう発言も見たんだけど、多分それはメインの需要ではないんだろう。
希望絶望の需要って、絶望側が希望側を蹂躙する姿にこそあるんじゃない?
そしてどっかしらで負けても、対絶望でもウェーイってする元絶望の姿こそが
希望絶望の需要なんじゃないかな。
ぶっちゃけ絶望側でさえ結構な格差あるし、
ほぼ負けない絶望側最強の立場で出れるんならそれが一番イイじゃん。
もはや御馴染みと化した絶望側の顔みたいなキャラには、
絶望らしく皆殺しにしてほしいってそういう需要があるわけじゃん。
そういう、絶望側のほうが"華"である形式なんだから、
少なくとも死なない吾亦紅はそりゃ出ないよね。
実際出たとして、はよ絶望の見せ場の為に処刑されてくれやと思われるだけだったろうし、
それなら出なくても良かったなって気持ちに今はなっている。
嫌われるキャラを作りたくて作ったわけじゃないから。
キャラ制作者という立場からしてみたって、
自分のキャラが希望側か絶望側どっちで出たら嬉しいですかっつったら
そら絶望側なんだよ。だって見せ場は大体確約されてる側なんだもん。
ついでに言えば、所謂神の低ランクみたいなのの演出は、
基本的に押し付けてなんぼの商売なんで、本当にごりっごりに演出押し付けるじゃん。
希望側でそういうことするキャラは殆どいないから、
単純に絶望側にいたほうがキャラを見て貰いやすいんだよね。
「何やってんだか全然わからんw」的なこと、過剰演出の中でコメントされても、
それと対面してるキャラの作者すると、「そっかぁわからないかぁ…」って感じ。
最近は希望絶望形式の大会も以前と比べたら割合減ったと思うけど、
割と近くにあった動画を見てみたらいきなりイントロ前に即死かましてて笑った。
今からすれば昔、その自分のキャラが希望絶望で規約がどうこうで言われてた時、
自分のキャラを出すかどうかという話の発端になった人はどう思ってたんだろう。
本当に自分のキャラを出したくてor出してほしくてなら喜ばしいことだけど、
その人的には、自分のキャラがなんもなく即死して死ぬ姿を見たかったんだろうか?
わからぬ。
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